平成24年5月16日(水)一日天候不順のため順延された葵祭りが快晴の下、
挙行されました。
午前10時30分に京都御苑を出発した葵祭の行列(路頭の儀)は下鴨神社に
午前11時45分頃に到着し、順次参道を北へ通って赤い鳥居から楼門に入り
ました。ここでは社頭の儀が挙行されました。
「 路頭の儀」
束帯姿の近衛使代や十二単の斎王代など、王朝絵巻さながらの葵祭の行列
が、都大路をすすむ道中を路頭の儀という。
下鴨神社と上賀茂神社で行われる社頭の儀を行うためのプロセスである。
両神社に、近衛使代が御幣物を供え、御祭文を奏上する社頭の儀に向かう
道のりである路頭の儀は、斎王代やさまざまな所役の衣装が見もの。京都の
伝統産業に支えられ、職人技に磨かれた伝統が息づいている。
その典雅な行列は遠く平安時代から人々の憧れであり、今も葵祭のハイライト。
行列は近衛使代(勅使代)を中心とした本列と、斎王代に従う斎王代列に
分かれ、本列を男列、斎王代列は女人列ともいえよう。
総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、そして斎王代の乗る腰輿
(およよ)1台からなる行列はおよそ1キロメートル。全行程8キロメートルの
道のりを大宮人が練り歩く。
私は参道で路頭の儀の行列を待ち、見学しました。
行列は肝煎(きもいり)を先頭に乗尻(のりじり)(上賀茂神社で社頭の儀のあと
一の鳥居から二の鳥居に向けて騎乗して馬を走らせます。市君の息子さんが
乗り手の一人として参加されていました)
検非違使志、検非違使尉、山城使、舞人、陪従(雅楽を奏する武官)、
近衛使代(行列の最高位の人で四位近衛中将がこれを勤める)
カラフルな衣装束帯を身につけて馬上の人が続きます。
牛車(藤、紅梅、白梅、杜若(かきつばた)などの造花を美しく飾る
勅使(又は近衛使代)は馬で行くので車はいらないが、行粧を華やか
にするために曳きだされるのだそうです。
近衛使代(行列最高位)銀面をかぶった馬に騎乗。
風流傘
続いて斎王代列
騎女(むなのりおんな)斎王付の巫子(みかんこ)
そのあと斎王代の牛車などが続きました。
これらの行列は赤い一の鳥居を通り楼門の中に入って社頭の儀を
行いました。
私は午後から上賀茂神社にて行われる社頭の儀を見るために、一旦
家に戻って昼食を摂取したあと、家内と一緒に家を出て上賀茂神社に
出向きました。
上賀茂神社で社頭の儀の受付を済ませた後、時間があったので近くの
太田神社にでかけました。ここでは杜若(かきつばた)が満開で見事な
花を咲かせていました。
上賀茂神社に戻り、社頭の儀が挙行されるのを待ちました。
行列が到着する前に二の鳥居の内側の広場が竹ほうきで綺麗に
されました。
清掃する役のの人たち10名程が広場を行ったり来たりしました。
ここは斎王代が座って社頭の儀を観覧する場です。
ここで、市君が衣冠単(いかんひとえ)(
以下市君より)
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今回は奉行属という役柄で、奉行の補佐役です。
京都御苑では、建礼門の南に設けられた見所で、奉行と共に行列の出発
を見届けました。それが終わると、タクシーで下鴨神社に先回りして
行列の到着を待ちます。
社頭の儀の準備が整ったところで、勅使を南の鳥居のところへお迎え
に行きます。
上賀茂神社でも奉行の命を受け、お勅使様を迎えに行く役です。
衣装(装束)は、束帯ではなく、衣冠単(いかんひとえ)という物です。
赤の単(ひとえ)の上に花田色(青系統の色、三輪さんの写真を参照)
の上着を着しています。束帯は上位の人の装束で、袴も違い、踞という
布を引きずっているので区別できます。葵祭では、勅使や宮司が着して
いるものが束帯です。
市 忠顕
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を身につけて登場、広場に進み出て、社に一礼のあと、向こうに見える小屋の
中に入っていきました。
やがて、下鴨神社を出た約500余名の路頭の儀の行列も上賀茂神社に到着し、
順次2の鳥居に入って広場の中程で本殿に向かって一礼する儀式を済ませて
いきました。
斎王代列も到着し、御輿(およよ)を下りて、徒歩で二の鳥居に入り本殿に一礼
をした後、所定の場所にそれぞれ座りました。
斎王代も所定の位置に着座しました。
この後、衣冠単姿の市君は近衛使代を迎えるために席を立ち、
所定の場に向かいました。
今年の第57代斎王代を務めた家族の方々の席も横にしつらえて
ありました。
斎王代を真ん中に路頭の儀を勤めた女官、童女、騎女、内侍、女別当、
采女などの方々居並びます。
勅使舞人陪従の列の皆さんが二の鳥居をくぐり広場の真ん中辺りで一礼し、
所定の場所につきます。
社頭の儀の中心人物である近衛使代が衣装束帯姿で入場しました。
社頭の儀に先立ち、式に立ち会う者はそれぞれお祓いを受けます。
、勅使御祭文を読み上げる前に御幣物を受け、橋殿北の案上に奉奠する。
近衛使代はこのあと橋殿に上がり、御祭文を読み上げます。
宮司は祭文と御幣物を本殿内陣に納めます。このあと御神意を勅使に
伝えるべく宮司は岩上に蹲踞し返祝詞を奏上する。後、交互に二度拍手
(打ち交ぜ四声と称す)
この作法により本年も天皇陛下の御祈願が神に伝わったことを意味する。
神のみしるしとして勅使に神禄(葵)を授ける
「東游」又は「東舞」
御神慮を和め奉る為、舞人は駿河舞と求子舞を舞い、陪従は歌を唄える。
このあと 橋殿の周りを三度2頭のの馬が回ります。
これらの儀式をしている間に、斎王代以下の女人は走馬が行われる一の
鳥居と2の鳥居の間にある観覧する場所に移動。
前記の儀式が終わって馬場には馬が引き出され、走馬の儀式が行われ
ました。
夕闇せまる
一の鳥居前で三回程引き回された馬が一の鳥居ら二の鳥居に向って
約200mほどの間を馬が勢いよく走る姿は迫力がありました。
この儀式には市君の息子さんが参加し、馬で走ったようです。
合計8頭の馬が馬場を疾走しました。
私は午後6時前、夕暮れせまる上賀茂神社を後にしました。
文責 三輪
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