「ゲートブリッジを歩く!」
”天晴れ会4月例会”は、昨年2月に新しく出来た「ゲートブリッジ」を歩いてきました。
レインボーブリッジに次いで、この橋も歩くことが出来ます。
丸の内や湾岸地域は、新しいものがどんどん出来てきて、ここだけ見ていると「失われた20年」なんて言っているのは、一体どこの国か?と思わずにはおれません。
今回は7名の参加で、「日本橋・道路元標」の前に、4月23日午前10時に集合しました。
あまり変わり映えしませんが、見てやってください。
いまのところ元気なことだけが取り柄です。
東京にいても日本橋の欄干など見ないと思いますが、実に立派な彫刻がなされています。
獅子は東京市の紋章を押さえていて、麒麟は実に素晴らしいものです。
この麒麟は誰もが知っている麒麟とはずいぶん違っています。
まるで龍のように見えます、「百聞は一見に如かず」と言います。
是非一度機会を見つけて見てきて下さい。
さて今日はここを起点にして、「江戸の町並み」から「現代東京」までを、歩いてみようと思っています。
先ず最初に見つけたのは、「日本郵便発祥の地」日本橋郵便局です。
ここを過ぎると、今アベノミクスで活気が少し戻ってきている「東京証券取引所」、その先は茅場町そして「永代橋」を渡ります。
川に目をやると、パリ・セーヌを思わせる(行った事はないが)「水上バス」が目に入る。
以前に比べて、お洒落で開放的な素晴らしい船である。
右手に眼をやると、うん?ここはニューヨーク???とさえ思わせる、佃島の高層マンション群が目に入ってくる。
以前は古い長屋のような家が、肩を寄せ合い、佃煮屋から醤油の匂いが流れてきた町であった。
いまは昔、佃煮屋は数軒残っているが、町は一変人情も一変したようである。
次は今「八重の桜」に出ていたので、見ていた方もあるかと思いますが、「佐久間象山」の旧宅跡、すぐ先には埼玉の偉人「渋沢栄一」の旧宅跡がある。
このあたりは「掘割」が至るところにある、江戸時代からいまに至るも残されていて、江戸の町はこの堀割りのお陰で100万都市を維持できたそうです。
先月歩いた「神田川」も大いに貢献したわけです。
暫く歩くと「門前仲町」に到着、このあたりも江戸の頃から大いに栄えた町で、「深川不動」「富岡八幡」が繋がる様にしてあります。
歴代横綱を顕彰する大きな碑が立っています。
しばらくはおじさんの「ゾロゾロ歩き」続き、愈々海が近いなんとなく匂いが違ってきた、そして運河に沿って倉庫群が目立ってきた。
11時半が過ぎた、みんなの頭は「昼飯」に占領されてきたようだ。
7人が一緒に入れて値段に納得性のあるところ、と言えばそうです「ファミレス」丁度打って付けの店がありました。
迷うことなく入店、席も確保、メニューを見てランチ680円これ全員賛成。
わが国の政治も、これくらい決められれば好いのだが?
我等が店に入ってすぐに店内一杯になった、この決断力をもっと他の大切な分野で、生かすことは出来ないものだろうか?
さて愈々「ゲートブリッジ」が目に入ってきた。
この橋の全長1.6キロ、高さは63メートルということである。
エレベーターで8階まで昇り、そこから歩道を歩き始めると、風が強いとても帽子は被っていられない、この橋の向こう側から先は行けないので、真ん中まで行って引き返してくることになった。
帰りは、周りの景色を眺めながらになった。
対岸に「ディズニーランド」が見える、仲間が橋を歩く、船が通行する、羽田に向かう飛行機が頭の上を飛んでいく、大きなトラックが疾走する。
元のところに返ってきて、ここからはバスで、JR「新木場駅」に向かう。
いつも通り駅で一休みの後、三々五々巣に帰っていきました。
5月は「どこを歩こうかな?」ケセラセラ、なるようになることでしょう?
最後に皆さんにお願い、仲間のコメントを待っています。
この集まりも現在10名が常連になっています。
コメントで横の繋がりが広まっていけば、より一層励みになることと思っています。
武蔵国素浪人 2013/4/24
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