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大比叡(848m)登山(H25.1.19)

今月の9日に仲間に下記のようなメールが来ました。

3711テントウムシの会メンバー各位 本年も楽しく事故なく良い山行きが出来ることを願っています 月例の山行きのご案内です 19日(土曜日)は大比叡(848.3m)を目指します 集合場所時間は叡山電鉄修学院駅改札出口8時30分です~音羽川沿い雲母(きらら)橋~雲母坂~水飲対陣跡(梅谷分岐~若干積雪があると思います)千種忠顕碑~ロープウエイ比叡~比叡山頂~四明岳(838m)~大比叡(848.3m)~無動寺~弁財天~ケーブル比叡~千種忠顕碑~水飲対陣跡~梅谷~赤山神社(赤山禅院)~修学院駅=解散 地形図;1/25000「京都東北部、大原」 持物;(親しみのある山ですが冬山には変わりありません 冬山の備えを十分にしてください)弁当、飲み物、軽アイゼン、スパッツ、ストック、帽子、ウインドヤッケ、ヘッドランプ、手袋、防寒着、雨具 参加不参加の連絡は17日(木)迄にお願いします 中岡保弼

 これに参加を表明したのは次の方々でした。

  生田、位田、児玉、中岡、中山、増戸、水沢、三好、三輪の9名。

 ところが、前日になって体調不良などで児玉、生田の両名が不参加となりました。

 当日は寒くて氷点下の朝ではありましたが、お天気は良くて絶好の登山日和となりました。

午前7時30分に下鴨の家をでました。家からは約3キロぐらいなので歩いて集合場所に向かうことにしました。糺の森バス停の横を抜けて下鴨神社の参道を横断し、泉川の石橋を渡り、下鴨中学校の正門前を通って高野川にかかる蓼倉橋を渡って川沿いを北上、北大路通りに架かる高野橋をを渡ると左京郵便局があります。その前を通り大原街道を北上、赤の宮神社前を通過すると向うに比叡山が見えてきました。今日はこの山頂まで登ります。

  

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集合場所の叡山電鉄修学院駅には8時10分頃に到着しました。ここまで約6000歩。

午前8時30分になると全員7名が揃いました。

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定刻午前8時30分修学院駅前を出発し、音羽川にきました。

音羽川には氷が張っています。

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道端の畑には一面に霜が降りていました。

 

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午前8時50分 しばらく音羽川沿いに歩いていくと左側に修学院離宮が見えてきました。

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音羽川砂防の歴史について

 音羽川には、京都市域、特に修学院地区の人々の生命、財産を土砂災害から守るため、早い時期から砂防事業が行われてきました。しかし、昭和に入ってからも9年、10年、13年、24年、35年、42年、47年に災害が発生しており、昭和47年災害では、不幸な事に一人の人命が失われています。

 ではここで、音羽川の砂防の歴史をふりかえりながら、当時どのような施設がつくられてきたかを見てみましょう。

 昭和9年9月21日の第1室戸台風は、強風を伴う風台風であったため、京都地方の山地部の樹木の幹折れ、倒木被害は大きかったようです。このため、翌年昭和10年6月28日~29日の集中豪雨により音羽川をはじめとした高野川、鴨川水系の被害は激甚でした。このときの土砂対策として昭和13年に石積み堰堤が3基(高さ8mのものが2基、10mのものが1基)作られています。さらに、土砂に流出が続いたため、昭和15年に石積堰堤(高さ6m)が1基追加で作られました。

 その後、しばらくは土砂移動が安定したようで、砂防施設は作られていません。その次に砂防施設が作られたのは昭和43年であり高さ12mのコンクリート堰堤が作られました。この堰堤は、昭和49年~52年に作られたコンクリート堰堤の下にかくれていて、今は見ることができません。つづく昭和44年、沈砂池の第1期工事が行われています。このあと昭和47年9月16日の台風20号による暴風雨により比叡山地や山麓の風化の進んだ花崗岩地域に多くの崩壊が発生し、崩れた土砂は土石流となって修学院地区を襲いました。このため、死者1名、全半壊家屋7戸、床上浸水155戸、床下浸水277戸という大災害をおこしました。今皆さんが目にする砂防施設のほとんどは、この災害以後に作られたり、修繕されたものばかりです。昭和47年に高さ13mのコンクリート堰堤(昭和49~52年に作られたコンクリート堰堤のすぐ下流)、昭和48年に高さ11.5mのコンクリート堰堤(昭和13年に作られた石積堰堤を副堤として利用したもの)、同じく昭和48年には、長さ370mの流路工、昭和49年には沈砂池の第2工事が行われ、7mのコンクリートの嵩上げがされました。つづく昭和49~52年には昭和43年に作られた高さ12mのコンクリート堰堤の嵩上げが行われ、高さは22.5mとなり、音羽川では一番大きな施設となっています。そして一番新しく作られたのは昭和53~54年の高さ8.5mのコンクリート堰堤(沈砂池のすぐ上流)です。これら多くの砂防施設が、上流から流出してくる土砂を止めることで、修学院地区を土砂災害から守っているのです。今日、人口の増加とそれに伴う宅地の山麓部への接近が土砂災害の危険性をますます高めています。こうした状況の中で、砂防の果たすべき役割はますます重要になるでしょう。さらに、上流部には、治山施設のダム工事が多数あり、砂防施設といっしょになって下流部を土砂災害から守っています。

 京都府京都土木事務所設置の看板より

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まもなく雲母坂と雲母橋にさしかかりました。

 雲母坂は平安時代より比叡山と都を結ぶ主要路として賑わい、都からの勅使が通ったことから勅使坂とも呼ばれました。また、法然、親鸞らの名僧をはじめ多くの人たちもこの坂を行き来しました。

 比叡山の山法師が日吉神社の神輿を担いで都に強訴に押し掛けたのもこの道とされ、南北朝の戦乱ではこの坂が戦場となり多くの将兵の血に染まりました。

 雲母坂の名は付近の花崗岩に含まれる雲母のきらきらした輝きからこう呼ばれたとも言われています。

 京都府では昭和47年9月の台風20号による音羽川の水害を契機に砂防ダムを整備し、平成4年度から砂防学習ゾーンとして環境整備しました。そして雲母坂の上り口にこの橋を設置するにあたり、雲母坂の名前にちなんで「雲母橋」と名付けました。

      平成12年10月 京都府京都土木事務所の立て看板より

午前8時58分 雲母橋(きららはし)にやってきました。

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ここからはいよいよ本格的に比叡山の麓に入ります。修学院離宮の裏側を通るこの道は両側が深くえぐれております。

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修学院離宮の裏側までくると積雪が徐々に深くなってきました。

午前9時40分

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午前9時50分 水飲対陣跡(梅谷分岐~若干積雪)に到着

ここで小休止しました。

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午前10時14分出発 雪道の中、音羽川上流を目指します。

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午前10時25分、音羽川を渡渉して更に上へ登ります。

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午前10時30分、石の鳥居前に続く、広い林道に出ました。ここで小休止遅れた増戸君を待つ。

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 足の調子が思わしくなく、遅れがちだった増戸君は上に上がることを断念、

ここからは1人で別れて北白川の方面へ降りることに。水沢君が用意してきてくれた

鯖寿司を増戸君に少し分けます。

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 小休止した残り6人の我々は少し広い林道を歩いてさらに上を目指します。

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目指す大比叡の山頂はまだまだ遠く先に見えています。

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 午前11時02分、雪道を元気に歩く仲間たち

 

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この辺りにくると音羽川は川幅も広くなります。川岸に植えられた幼木は鹿たちに齧られないように防護網が架けられて並んでいます。

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音羽川は比叡の山の中に入ると沢山支流があり、大雨が降るとこれらの

谷から濁流が押し寄せてくるので、修学院辺りになると溢れることになるのが、

よくわかりました。

 

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午前11時17分、小さな祠前を通過、このあたりまで来ると雪も大分深くなり10cm以上の積雪。

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林道はドライブウェイの下のトンネルをくぐっていきます。

午前11時33分 京都市左京区から滋賀県側に入ります。

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また石の鳥居がありました。しばらく行くと今度は大きな岩の壁の横を通過

寒いので 「つらら」が下がっています。

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午後0時20分、このあたりの積雪は20cm近い 

 

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午後0時25分、昼食予定の弁財天に到着しました。

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 めいめいが用意してきた昼食を食べ、また水沢君が作ってきてくれた鯖寿司とキムチ

を賞味いたし、また中岡君が作ってくれたチキンラーメンに舌鼓を打ちました。

 

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昼食の場を借りたこの弁財天は凄い崖の上に足場のコンクリートを打ち込み

建てられています。

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 午後1時15分、昼食を終えた我々は出発無動寺に向かいました。ここは

琵琶湖が一望に見えます。 足元は雪が凍っていて滑りやすく注意しながらの

歩行です。雪でつくったウサギ?が歓迎

 

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 雪はだんだん深くなってきています。

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 午後1時35分 比叡山ケーブル延暦寺駅にきました。

ここからは遠く伊吹山や白山がみえるそうです。

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 ここで足の調子がもうひとつ思わしくない中岡君と滋賀県からやってきている

水沢君の二人がケーブルで下山することになりました。

残った4人は大比叡の三角点(848m)を目指します。
午後1時45分ここからドライブウェイを横切り山頂へ直登することになりました。

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この辺で標高700m

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ふたたび山道に入り大比叡へ直登

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午後2時33分、大比叡山頂(1等三角点848m)に4人は到達しました。

この辺りは積雪50cm近くありました。

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午後2時35分下山開始

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横高山、水井山が下に見えています。

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午後2時46分 がーデン・ミュージアム比叡は休館

 

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京都側に戻ってくると向うに北山や下には大原、岩倉、静原方面が見えています。

また蛇ヶ池の元スキー場あとも雪で覆われてはいますが誰もいません。

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午後3時15分、比叡山ケーブルカーの山頂駅で軒下を借りて小休止

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千種忠顕碑を見ることにしました。

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ここまで降りてくると雪はほとんどありません。

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午後4時22分梅谷林道に合流しました。

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梅谷林道登り口に下山しました。

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午後4時40分、振り返ると比叡山が遠くに見えていました。

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 今日は途中で増戸、中岡、水沢の3名が下山しましたので、残念ながら

中岡君のコーヒーが飲めず、また市君も不参加でしたのでケーキも

無く、寂しい思いをした我々最後まで歩き通した4人(位田、中山、三好

そして三輪)は最後にコーヒータイムを持とうということになり、修学院駅の

近くであちらこちらと探し回り、2つは営業時間終了(午後5時)ということで、

断られましたが、やっと1軒のコーヒー屋を見つけ、近くに住む永根さんを

呼び出し5人で暫しの団欒のひとときを持ちました。午後6時近くに解散。

それぞれ家路に着きました。

 文責 三輪

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コメント

厳冬の中、おつかれさまです。しかし元気ですねえ。
 
昔、私も比叡山には何回か歩いて登ったこと(もちろん雪のないとき)があり、
なつかしく読ませてもらいました。 
 
雲母(きらら)坂は、確か京都側ケーブルの頂上に着くはずですが、
何故か、滋賀側に着いているのは、途中で曲がりました?

投稿: 元管理人(永田) | 2013年1月23日 (水) 11時59分

今回は雲母坂から登り、水飲対陣跡(梅谷林道と雲母坂が分岐する所)から右ななめ方向に入り、音羽川の上流に沿って林道を登って比叡山ドライブウェイの下を通り、滋賀県の方へ抜けるコースを取ったので、京都市内が一望に見え、京都側のケーブル駅終点に到着する道は行きには歩いておりません。本文にもある通り、京都側ケーブル終点駅には、帰りに寄るコースを取りました。

投稿: 三輪 新造 | 2013年1月23日 (水) 12時56分

三輪さん「大比叡登山」には感服しております!
2名途中棄権されてるようですが、やんぬるかな〜
平地の山手線歩きでさえ寒さで3名も不参加、、、
三輪さんもあと体調崩された由、安心?しました、、

知らぬ間に以前の年単位ではなく、月単位で老いを感じる此の頃です。
                                               オリオン座のベテルギウス、今は存在するのか、しないのか?                                            「 我が身をも べテルギウスの 如くあり 」   惇三  

投稿: 惇三 | 2013年1月29日 (火) 00時15分

大比叡と言う呼び方なんですね。
結構雪もあって楽しそうです。
今少し、術後の後遺症なんかがなければご一緒したいんですが。
滋賀県の近場の城跡散策くらいで我慢しております。

たくさんの写真、ありがとうございました。

投稿: zarigani | 2013年1月29日 (火) 17時19分

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