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中山道ひとりあるき

今回は仲間が一緒に歩いてくれ、賑やかで楽しい旅になりました。次回はあなたと一緒に歩けたらと・・・
『木曽路をあるく』
みなさん元気ですか?新緑がまぶしい季節、歩くには最高の時を迎えています。 
今回は『中山道ひとりあるき』に仲間が二人加わりました。
京都から増戸さん、東京から岡阪さん、お陰で本当に楽しい旅になりました。
その上に二泊目の大妻籠の宿に、飯田から笹井さんが来て一晩一緒に過ごしました。
今回の行程は、前回から丁度1ヶ月後の、5月28日~30日の2泊3日です。
28日  宇田・岡阪は新宿から「高速バス」で、増戸は京都から「特急しなの」で、
木曽福島駅に12時半集合してすぐに出発。
福島関所跡・山村代官所・上の段の町並み、ここは卯建のある町屋や、石置き板屋根の家、土蔵や宿場用水などが残り、宿場時代を色濃く残している場所である。
福島の町を出て暫くすると一里塚跡・江戸より70里、京へ67里。
途中の道端に腰を下ろし、ホウ葉もち(この季節・地域限定)一つでお昼を済ます。1時間ほどで板敷野の集落を抜け、「木曽の梯」に着く、ここは木曽の難所の一つで、昔は崖に丸太を架け横板を渡したのである。
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上松宿の入り口に高札場跡、ここは何度も大火に見舞われ古い町並みはほとんど残ってない。
町の中にたくさん、20年に一度の、「伊勢神宮式年遷宮の御神木祭」のポスターが出ていたが、残念ながらお祭りは6月4日からとの事、一週間早かった。
伊勢神宮の神木をいままでは、木曽谷から送っていたが、それも今回が最期になるとの事、伊勢神宮の山で神木が育成されたようです。
今日の行程はここまで、心配していた岡坂の足も大丈夫、本当によかった。
宿は妻籠宿「下嵯峨屋」5時半到着早速6時から食事、同宿者はアメリカ人
4人のみ、夕食後宿場の中をプラプラ散歩、人影まったくなし。
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29日  昨夜大いびきの増戸が、5時に起きだし上着を着て朝の散歩、その後岡阪・宇田も好き勝手に出て行く、朝の宿場もまた格別、凛とした冷気の中、それぞれ何を思って歩いたことか?
早い目の朝食を済ませ、南木曽駅へバスで出てJR で上松に到着は8時46分お祭りの景気付けの木曽節が、昨日からうるさいほど鳴ってある駅前を出発。30分ほどで寝覚めに着く、上町には「越前屋」と「たせや」の二軒の民宿が向かい合っている、昔ながらの赤いポストがよく似合っている。
「越前屋」は「続・膝栗毛」で弥次喜多が蕎麦切りを食べたところだそうです。ここから国道19号を横切り木曽川を望む、寝覚めノ床を見学、浦島太郎が竜宮城から帰ってきて晩年をここで過ごしたのだそうだ、だって浦島太郎の釣竿まで飾ってあったのだ、信じることは良い事ですよ。
11時頃小野の滝、萩原の一里塚、倉本駅、ひたすら歩く、ただひとりあるきと大きな違いは、今回植物に詳しい増戸がいるので、道端の草や花や木など、あれの名前はなんだこの実は、この花はと次から次に話しながらの楽しい道中でした、ただわからない花が出てくると、それは園芸種だから知らん、と奥の手でかわされた、木曽の春は1ヶ月遅れの感じで、それだけにギュッと詰まった濃密な時を感じます。
植物だけでなく、鳥の鳴き声、アサギマダラの写真を撮ることが出来ました、増戸の話だとこの蝶はもともとは、台湾からの渡りとのことで、1000キロもの長旅をしてくるとのこと、この蝶を見つけるとマーキングをして生態調査をしているそうです、この路上観察会は3日目も最期まで、あれは何だ、これは何だ、それは園芸種だ、知らんと和やかに続きました。
そろそろお腹が鳴り始めたが、ここまでコンビニも何も無い、さあどうするか
道端の草を増戸は千切って食べているが、あれだけでは無理だろう。
1時前に国道を歩いていると、うどんの看板なんと木曽谷でさぬきうどん、この際何でもいい、さっそく店に突入、岡坂は味噌煮込みうどんの並、増戸はその上、宇田は天ざる並、これがなかなか美味であった。
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こんな鄙びた周りに何も無い店で、こんな別嬪さんに会うとは、注文しつつ3人のおじさんは気になり話しかけたら、ここの娘さん目の色がグレーの可愛い子、お兄ちゃんがいるが跡を継がず都会に行った(上手く逃げられた)。
だから店を手伝っている、すぐにもここから出て行きたい、思わず一緒に行こうか、と言いそうになる、まてまて営利誘拐になりそうだ、怪しいおじさんに着いて言ってはいけないよ、でも話していると、なんとなく切なくなるような話、24歳の将来を思うと、どうすればいいのか、地方には人がいない、仕事が無い、ただ毎日うどんを運んでいるだけでは・・・
感傷に浸っているだけではどうにもならない、とにかく歩こう。
暫くすると須原宿、まず駅前に幸田露伴で有名な(?)、大和屋・名物「桜の花漬け」、この宿は古い建物が残り雰囲気のある処である。
道のあちこちに丸太をくりぬいた水船があり、清冽な水が溢れ出ている。
奈良井宿も妻籠宿もそうであったが、木曽の宿はどこも水が豊富にあり豊かであった様子がよく判る、この水船は妻籠にもある。01400139


岩出観音・天長院をみて、大桑駅に到着、時間的に見て今日はここまで。
大桑駅から南木曽駅に戻り、笹井さんに電話、迎えに来てもらう、快く承諾
5時前に大妻籠・旅籠「丸屋」に到着、4人で近くの温泉に浸かりに行く。
ぬるぬるの気持ちの良い温泉、露天風呂も広く眺めも最高いうことなし。
今夜の泊り客は我々4人と、オランダ人の夫婦の6人。
和やかに国際交流、世界平和や環境問題、の難しい問題は日本お得意の先送り
で、なんとかボディーランゲージを交え親睦を果たした、そのなかで笹井さんが大いに活躍(青野先生に感謝?)したことを、忘れずに書き残しておく。
今夜のお酒は須原宿の造り酒屋「かけはし」で、5銘柄も試飲した後で買ったどぶろくの4合壜、これがあとでちょっとした問題になるとは?
食事の後は囲炉裏端で薪をくべながら、グダグダあれやこれやのいつもの話、岡阪の火を吹く姿から「ひょっとこ」は「火吹き男」が訛ったものだとか、あまり役には立たないが、毒にもならない話で木曽の夜は更けました。
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30日  昨日と同じ電車で南木曽から大桑駅まで行く8時20分到着。
1時間ほどで野尻宿、ここも何度もの火災で昔の面影は無い、高札場跡とくねくねと曲げた道「七曲がり」は健在である。
このあたりも人影がない、暫く歩いて十二兼の駅ここで水の補給と小休止。
10分程で中川原「明治天皇御休所跡」中山道を歩き始めてから、今までにいったい何ヶ所在っただろうか、このような碑が、いかに若かったとはいえ、交通の便の悪い時代に日本全国、行脚の旅は大変だったろうとお察しいたします。0157

そうこうする内に「羅天の桟道」の難所を過ぎ、三留野宿あまり見るべきものが無い、その代わり増戸先生の草花や園芸種の話をしているうちに、南木曽駅
ここで昼食、店を探すのが大変本当に何も無い、やっと駅前食堂を探し、3人とも「ざる蕎麦」、ここで相談時間の制約があり、今日東京へ戻るためには、残念ではあるが、妻籠宿までということで決まり。
そこで観光案内所に荷物を預かってもらい、空身で歩き出す。
南木曽~妻籠~馬籠は「歴史の道」や「ウォーキングコース」として整備されているので、全体にきれいである。
暫くすると神戸(ごうど)集落、民家の庭に入ったかと間違うような、手入れの素晴らしい庭木の間を歩き、上久保一里塚左右とも残っている(江戸より78里)、このさきに妻籠古城への道があるが、今回は時間が無いのでパス。
2時ころ妻籠宿に到着、休憩ののち南木曽駅に戻る、駅前でばったり昨夜のオランダ人の亭主と会う、一人なので聞いてみると、ワイフは宿でどうやら二日酔いで寝ているとの話、昨夜なかなか飲みっぷりが良かったのは、どぶろくの口当たりが良かったので、どうやらそのためらしい。
まさか毒を盛られたとは、思っていないだろうから、早々に退散。
帰りは名古屋経由で京都・東京へ、次回も一緒に行ければと言いながら、帰途に着きました。
     還暦をすぎそれぞれ、新しい環境や生き方など、これからのことを考える、ゆっくりした時間を持てたのが、なにより良かったのではないかと思っています。
     みなさんもよかったら一緒に歩いてみませんか、いつでもよろこんで迎えます。
     2005年6月1日     武蔵野国住人  宇田知。

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コメント

なかなか楽しそうな旅でしたね。今回は娘夫婦が福岡県から来たので参加できませんでした。次回には都合がつけば参加して見たいと
思います。この紀行文を読ませていただいていると、日本は狭いようで広いのだと感じました。昼ごはんの場所がなかなか見つからないとは。京都市内に住んでいると食物屋なんかどこにでもあると思っていましたが・・・・・

投稿: 三輪 | 2005年6月 3日 (金) 17時51分

三輪さん、旅籠「丸屋」の二階で、3人が写っている写真、どこかで見たことが無いですか?
去年常盤貴子が、宝くじのコマーシャルでやっていましたのはここなのです。

投稿: 宇田 | 2005年6月 3日 (金) 20時51分

そう言われて見ると見覚えがありますね。
1階と2階の間の屋根が2階の廊下件出窓に
なっているのですか。

投稿: 三輪 | 2005年6月 4日 (土) 15時54分

その通り、この建て方が木曽独特の、宿場の風情を醸し出しているようにおもいます。
卯建があり、水船がある宿場それが木曽路でしょう。

投稿: 宇田 | 2005年6月 4日 (土) 16時14分

木曽路の旅、はまりました。

投稿: 岡阪 己左夫 | 2005年6月 6日 (月) 10時35分

皆さん、ご無沙汰しております。H15年の同窓会以来の連絡をさせていただきます。
メール頂きHPを見ました。全てはまだ見ていませんが、試験的とのコメントでしたが、これ本格的なHPです。素晴らしいの一言です。どうすればこのような充実したHPができるのか?レベルの差を感じます。
当方は昨年、「暇あれど金は無し」の、年金生活者となりました。このままでは不味いと、ボケ防止のPCいじりと、デジカメ片手にウオークを始めました。3月結果的にホームページを作っちゃいました。まだまだ発展途上のHPですが、一度ご覧下さい。
YAHOO!JAPANの登録サイト。
   「歴史の浪漫街道」
HPのタイトルも意味不明で、中身は期待せずに!
URLは
http://www.gc-pc.com/fujisawa/" rel="nofollow">http://www.gc-pc.com/fujisawa/

メールとワードしかできなかったシニアのHPですが、やれば出来るを(いまさら何をですが)実感してます。内容を充実させますので今しばらくはご辛抱の上、ご覧下さい。
またコメントさせていただきます。では又。

投稿: 藤澤正昭 | 2005年6月 6日 (月) 18時41分

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